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北海道民の会

2026年の岐路:法治主義の死守か、世論による「宗教狩り」か

  • 執筆者の写真: 道民の会広報部
    道民の会広報部
  • 4 日前
  • 読了時間: 4分

2026年、日本政界の再編は「中道改革連合」という形で結実しましたが、この再編は日本の民主主義における「政教分離」の解釈を巡る最大の試練を我々に突きつけています。


自民党と旧統一教会(家庭連合)の関係が批判される中で、立憲民主党の一部と公明党が合流した新党は、果たして「自民党の二の舞」にならないと言い切れるのでしょうか。さらに、追及の急先鋒であった野田佳彦氏自身にも家庭連合側との接点が報じられた今、この議論は「他者への断罪」から「法治主義への立ち返り」へと局面を変えています。



1. 権利としての政治参加:陳情と支援は「正当」である

まず憲法学の原点に立ち返れば、宗教団体やその信者が政治家に陳情し、理想とする社会の実現を目指して政治家を応援することは、憲法20条(信教の自由)および21条(結社の自由)が保障する市民の正当な権利です。


「宗教団体が政治に関わること=政教分離違反」という言説は、法的には誤りです。政教分離の本質は、国家が特定の宗教に特権を与えたり宗教的活動を強制したりすることを禁じているのであり、市民が信仰心に基づいて政治的意志を表明することを制限するものではありません。家庭連合の信者が自民党を支援することも、創価学会員が中道改革連合を支えることも、その行為自体は民主主義の健全なプロセスの一部です。



2. 野田佳彦氏の「接点報道」が突きつけるブーメラン

自民党を厳しく追及してきた野田氏ですが、2026年に入り、過去に家庭連合の関連団体(国際勝共連合など)の関係者が参加する会合に出席していたことや、パーティー券購入を巡る接点が報じられています。これに対し野田氏は「よく調べたい」と述べるに留まっていますが、この事実は「特定の団体と関係を持っただけで政治家失格」というレッテル貼りの危うさを浮き彫りにしました。


もし「関係を持っただけで悪」という理屈を徹底するならば、野田氏自身もその対象となり得ます。政治家にとって重要なのは「誰と会ったか」ではなく、その関係によって「公共の利益を歪めたか」という一点に集約されるべきです。



3. 福田ますみ氏と小林節氏が鳴らす警鐘

ジャーナリストの福田ますみ氏は、著書**『国家の生贄』**において、現在の世論形成がいかに一方的であるかを緻密な取材で暴いています。福田氏は、長年行われてきた信者への「拉致監禁・強制改宗」という重大な人権侵害がメディアに黙殺されている実態を告発しました。国家が特定の宗教を「生贄」に捧げることで政治的不祥事の矛先をかわそうとしている構図は、法治国家として看過できない問題です。


また、憲法学者の小林節氏も、政府による解散命令請求に対し法的な異論を唱えています。

  • 法令違反の拡大解釈: 宗教法人法の解散要件である「法令違反」は、従来、刑事罰を伴うものに限定されてきました。これを民法上の不法行為にまで広げることは、法の安定性を損なう「後出しジャンケン」的な解釈変更です。

  • デュー・プロセスの欠如: 小林氏は、世論の感情によって特定の団体を潰すことを許せば、それは法治主義の崩壊を意味すると危惧しています。



4. 将来的に他の宗教団体や支援団体に与える影響

今回、家庭連合に対して取られた「世論による認定」と「法解釈の拡大」という手法は、将来的にあらゆる宗教団体や中間団体(労働組合、業界団体など)に牙を剥く可能性があります。

  • 恣意的な「反社会」認定のリスク: もし時の政権やマスコミが特定の団体を「反社会的」と決めつければ、法的根拠が薄くとも活動を制限できるという前例になります。これは、中道改革連合を支える創価学会や、その他の伝統宗教、さらにはリベラルな市民団体であっても、世論の風向き一つで排除の対象になり得ることを意味します。

  • 支援活動の萎縮: 政治家が「関係を持つだけでリスク」と捉えるようになれば、宗教団体や小規模な支援団体による正当な陳情活動までが切り捨てられ、市民の声が政治に届きにくくなる「民主主義の窒息」を招きかねません。



結論:求められるのは「感情」ではなく「法の平等」

中道改革連合が創価学会と連携し、さらにリーダーである野田氏自身にも過去の接点が報じられた今、彼らに求められるのは「他者の排除」ではなく「ルールの明確化」です。


「民法上のトラブルがある団体の支援を受けることは悪」というロジックを絶対化すれば、それは中道改革連合をも縛る「ブーメラン」となります。政治と宗教の関係において、真に議論すべきは、政治家が特定の団体の特殊益を国民全体の利益より優先していないか、そして国家が世論に迎合し不当な差別・弾圧を行っていないかという点です。


『国家の生贄』で福田氏が示した視点や小林氏の法理論は、日本が「感情で支配される情治国家」ではなく「法が支配する法治国家」であり続けるための重要なブレーキです。誰かを「生贄」に捧げることで成り立つ政治的正義は、決して長続きしません。今、日本政治に求められているのは、レッテル貼りの排除ではなく、法の下の平等をすべての人に等しく保障する覚悟なのです。

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