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​基本的人権と

信教の自由を守る

北海道民の会

信教の自由とその重要性

信教の自由とは

私たちは皆、何を信じ、どのように生きるかを決める自由を持っています。その中でも、信教の自由は、私たちが心の拠り所とする宗教や信仰を、国家権力によって制限されることなく持つ、非常に大切な権利です。

具体的には、信教の自由には以下の要素が含まれます。

  • 信仰の自由: どのような宗教を信じるか、あるいは信じないかを自由に決める権利。

  • 宗教的行為の自由: 礼拝、儀式、布教など、信仰に基づく行為を自由に行う権利。

  • 宗教的結社の自由: 宗教的な目的を持つ団体を結成したり、参加したりする権利。

この自由は、私たちの精神的なよりどころであり、人格の根幹に関わるものとして、尊重されなければなりません。

なぜ信教の自由を守ることが重要なのか:宗教迫害の歴史からの教訓

信教の自由が保障されない社会は、過去に多くの悲劇を生み出してきました。国内外の宗教迫害の歴史を振り返ることで、信教の自由を守ることの意義を改めて確認しましょう。

2.1 個人の尊厳の侵害
宗教は、個人のアイデンティティや価値観の深い部分に関わります。宗教迫害は、この根源的な自由を否定し、個人の尊厳を深く傷つける行為です。

2.2 社会の分裂と対立
宗教の違いを理由とした迫害は、社会に深刻な分断と憎悪を生み出します。異なる信仰を持つ人々が敵対し、紛争や暴力が繰り返される歴史は、私たちに平和の尊さを教えてくれます。

2.3 人権侵害の連鎖
一つの自由が抑圧される社会では、他の人権も脅かされます。信教の自由が侵害される状況下では、言論の自由、集会・結社の自由など、他の基本的な自由も危険に晒される可能性が高まります。

2.4 平和と安定の破壊
宗教的対立は、国家間の紛争やテロリズムの温床となることもあります。信教の自由が保障され、多様な信仰が共存できる社会こそが、平和で安定した社会の基盤となります。

2.5 歴史の教訓:国内外の宗教迫害の実例
過去の悲劇から学び、信教の自由を守る重要性を深く理解するために、具体的な宗教迫害の事例を見ていきましょう。

日本における宗教迫害
  • キリシタン迫害: 豊臣秀吉、徳川幕府による禁教令と弾圧、多くの殉教者、隠れキリシタンの存在、島原の乱など。

  • 大本教弾圧: 二度にわたる政府による弾圧、教祖や信者の逮捕、施設破壊、結社禁止処分など。

  • 天理教弾圧: 教祖中山みきの逮捕・投獄、教義・儀式の制限、一時的な教派神道としての公認など。

  • 琉球王国における仏教排斥: 政治的安定のための仏教寺院の廃止、僧侶の追放。

  • 明治初期の神仏分離・廃仏毀釈: 国家神道中心政策による仏像破壊、寺院廃止など(一部過激化)。

海外における宗教迫害
  • 古代ローマ帝国によるキリスト教徒迫害: 皇帝崇拝拒否などを理由とした大規模な弾圧。

  • ヨーロッパの宗教改革と宗教戦争: カトリックとプロテスタントの対立による三十年戦争、ユグノー戦争など。

  • イスラム教シーア派に対する迫害: スンニ派多数派国における差別や迫害(現代も継続)。

  • 中国におけるウイグル族など少数民族への宗教的弾圧: 宗教活動の制限、モスク破壊、宗教指導者の拘束など。

  • ミャンマーにおけるロヒンギャに対する迫害: 国籍剥奪、移動制限、虐殺、性的暴行など。

信教の自由を守るために

過去の悲劇を繰り返さないために、私たちは信教の自由の重要性を常に意識し、以下の点を心がける必要があります。

  • 多様な信仰の尊重: 自分と異なる宗教や信仰を持つ人々を尊重し、理解しようと努めること。

  • 差別や偏見の排除: 特定の宗教や信仰を持つ人々に対する差別や偏見をなくすこと。

  • 人権意識の向上: 信教の自由は基本的人権の一つであるという認識を深めること。

  • 社会全体の理解: 信教の自由が、平和で安定した社会の基盤となることを理解すること。

まとめ

信教の自由は、私たち一人ひとりの尊厳と、平和で多様性のある社会を守るために不可欠な権利です。過去の宗教迫害の歴史から学び、この大切な自由を未来へと繋げていくために、私たち一人ひとりが意識を高めていくことが重要です。

拉致監禁の真実

家庭連合(旧統一教会)の拉致監禁事件は、信者の脱会を目的として、家族や親族などが信者本人を意図に反して施設などに監禁し、説得や精神的な圧力を加えるというものです。

主な特徴:

  • 目的: 信者の信仰を放棄させ、教会から脱会させること。

  • 主体: 主に信者の家族や親族が行い、脱会屋と呼ばれる専門業者が関わるケースもあります。

  • 手段: 強制的な連れ去り、施設への監禁、長期間にわたる説得、精神的・肉体的苦痛を伴う行為など。

  • 期間: 数日から数ヶ月、時には数年に及ぶケースも報告されています。

  • 法的問題: 個人の信教の自由や人身の自由を侵害する行為として、日本国憲法や刑法に抵触する可能性があります。

背景:

家庭連合の教義や活動に対する社会的な批判や懸念が、家族や親族による拉致監禁という手段につながったと考えられています。

現状:

近年、拉致監禁事件は減少傾向にあるとされていますが、依然として被害の訴えは存在します。被害者支援団体などが相談を受け付けています。

より詳しい情報や個別の事例については、関連団体や報道機関の情報を参照することをお勧めします。

江戸幕府によるキリシタン弾圧

隠れキリシタンとは何か?潜伏しながらキリスト教を信じる人たちの物語

【大人の学び直しTV】

日本におけるキリシタン迫害は、16世紀末から江戸時代にかけて、時の政権がキリスト教とその信者を厳しく弾圧した出来事です。

始まり:豊臣秀吉の禁教令 1587年、豊臣秀吉はバテレン追放令を発布し、キリスト教の布教を禁止しました。これは、キリスト教勢力の拡大を警戒したためと言われています。しかし、貿易の利益を重視した秀吉は、この禁教令を徹底しませんでした。

本格化:江戸幕府の禁教と弾圧 徳川家康も当初はキリスト教を黙認していましたが、次第にその影響力を警戒し、1612年には幕府直轄領に、1614年には全国に禁教令を出し、本格的な迫害が始まりました。

迫害の内容

  • 宣教師の追放と殉教: 多くの宣教師が国外追放となり、日本に残った宣教師や信者は捕らえられ、厳しい拷問の末に処刑されました(例:日本二十六聖人の殉教)。

  • 信徒への弾圧: キリスト教を信仰する人々は、拷問や処刑だけでなく、改宗の強要、財産の没収などを受けました。

  • 宗門改制度: 全ての住民を寺院の檀家とし、仏教徒であることを証明させる制度を作り、キリスト教徒を摘発しました。

  • 踏み絵: キリストや聖母マリアの絵を踏ませることで、キリスト教徒であることを否認させようとしました。拒否した者は処刑されました。

  • 隠れキリシタン: 厳しい弾圧の中、多くのキリスト教徒は表向き仏教徒を装いながら、密かに信仰を守り続けました。彼らは「隠れキリシタン」と呼ばれ、独自の信仰形態を発展させました。

島原の乱 1637年に起こった島原の乱は、過酷な年貢の取り立てやキリシタンへの弾圧が背景にあり、多くの農民やキリシタンが蜂起しました。この反乱は鎮圧されましたが、幕府はキリスト教への警戒をさらに強め、鎖国政策を推し進める一因となりました。

長崎奉行所の役割 長崎は貿易港として重要でしたが、キリスト教が広まった地域でもあったため、長崎奉行所はキリシタンの監視・摘発において重要な役割を果たしました。

日本のキリシタン迫害は、江戸時代を通じて続き、多くの犠牲者を出しました。鎖国政策の下、キリスト教は長らく禁じられましたが、一部の地域では隠れキリシタンとして信仰が受け継がれていきました。

イスラム教に対する宗教迫害

事務総長メッセージ:イスラム教徒に対する差別と憎悪への対処に関するハイレベル・イベントに寄せて(ニューヨーク、2017年1月17日)【国連広報センター】

父の死をきっかけに…「イスラム教徒の墓が足りない」

日本の“土葬”墓地の課題を考える【news23】

イスラム教に対する宗教迫害は、歴史的にも現代においても様々な形で見られます。

歴史的な事例:

  • 初期の迫害: イスラム教の成立初期、メッカの支配層は新しい宗教を脅威とみなし、信者たちを迫害しました。

  • 異教徒との戦い: イスラム帝国の拡大期には、異教徒との間で衝突や征服が行われ、宗教的な動機による迫害も存在しました。

  • 十字軍: キリスト教国による十字軍は、イスラム教徒に対する敵意を高め、イスラム世界に住むキリスト教徒が「敵の味方」とみなされて迫害されることもありました。

  • ムワッヒド朝: 12世紀に北アフリカやイベリア半島で勢力を誇ったムワッヒド朝は、キリスト教徒やユダヤ教徒に対して厳しい取り締まりを行い、共同体が消滅する地域もありました。

  • 北インド: 12世紀以降、トルコ系のイスラム王朝が北インドに進出し、仏教徒やヒンドゥー教徒との間で戦闘や破壊行為が発生しました。

現代の事例:

  • 少数派イスラム教徒への迫害: シーア派に対するスンニ派からの迫害、あるいはその逆など、イスラム教内の宗派対立による迫害が起こっています。

  • イスラム教徒少数民族への迫害: ミャンマーにおけるロヒンギャ族に対する迫害などが深刻な人権問題となっています。

  • イスラム過激派による迫害: イスラム過激派組織は、自らの解釈に合わないイスラム教徒や、他の宗教の信者に対して暴力行為や殺害を行っています。

  • イスラム教徒に対するヘイトクライム: 9.11同時多発テロ以降、欧米を中心にイスラム教徒に対する差別や憎悪犯罪が増加しました。

  • 政府による弾圧: 中国におけるウイグル族に対する人権侵害など、政府が特定の宗教や民族に対して弾圧を行う事例もあります。

イスラム教に対する宗教迫害は、地域や時代によって背景や形態が大きく異なります。政治的、民族的な要因と宗教的な要因が複雑に絡み合っている場合も少なくありません。

大本教に対する国家的宗教弾圧

【日本の闇歴史】なぜ大本教は弾圧されたのか?|ゆめラジオ×川嶋政輝【むすび大学チャンネル】

大本教は、1892年に出口なおが開祖した神道系の新宗教です。社会の立て替え直しと「みろくの世」の到来を説き、急速に信者を増やしました。

大本教に対する宗教迫害は、主に2度にわたる「大本事件」として知られています。

第一次大本事件(1921年): 大本教の勢力拡大を警戒した政府は、不敬罪や新聞紙法違反の容疑で教団幹部を逮捕し、本部施設の一部を破壊しました。

第二次大本事件(1935年): 国家神道体制を強めようとする政府は、大本教を「国体の変革を目的とする邪教」と断定し、治安維持法を適用して徹底的に弾圧しました。

  • 約500人の警察官が本部を急襲し、教祖の出口王仁三郎を含む幹部や信者多数が逮捕されました。

  • 本部の主要施設はダイナマイトで爆破されました。

  • 取り調べや獄中で16名もの信者が死亡しました。

  • 新聞は連日大本教を「邪教」「国賊」と書き立て、社会的な非難を煽りました。

この二度の弾圧事件によって、大本教は壊滅的な打撃を受け、一時的に解散を余儀なくされました。第二次大本事件は、治安維持法が宗教団体に初めて適用された事例であり、当時の政府による思想・信条の自由の抑圧を示すものとして知られています。

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