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​基本的人権と

信教の自由を守る

北海道民の会

「政教分離は信教の自由を守れるのか?家庭連合の解散命令が問いかけるもの」

  • 執筆者の写真: 道民の会広報部
    道民の会広報部
  • 6月27日
  • 読了時間: 5分

はじめに


旧統一教会、現在は世界平和統一家庭連合(以下、家庭連合)に対する解散命令請求は、日本社会に大きな波紋を広げている。この問題は単に特定の宗教団体への対応に留まらず、日本国憲法が保障する「信教の自由」と「政教分離」という二つの重要な原則のあり方を深く問い直すものである。本稿では、家庭連合への解散命令請求が、政教分離原則と信教の自由の観点からどのように評価されるべきか、その違法性を巡る議論を深掘りしていく。


政教分離原則と信教の自由


日本国憲法第20条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と明記し、さらに「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と政教分離原則を定めている。これらは、国家が特定の宗教を優遇したり、逆に不当に抑圧したりすることを禁じ、国民一人ひとりが自らの信仰を自由に選択し、実践できる環境を保障するための重要な規定である。


政教分離原則は、大きく分けて「制度的分離」と「目的効果基準」の二つの側面から理解される。制度的分離は、国家機関と宗教組織が物理的に分離され、相互に干渉しないことを指す。一方、目的効果基準は、国家の行為が宗教的活動を目的とせず、その効果が宗教的活動に利益や不利益をもたらさないことを求める。



家庭連合解散命令請求の背景と問題点


家庭連合への解散命令請求は、主にその霊感商法や多額の献金要求が社会問題化したことを背景としている。特定商取引法違反や不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟が相次ぎ、被害者の救済が喫緊の課題となった。しかし、ここで問題となるのは、解散命令という手法が、これらの民事上の問題に対する適切な対応なのか、そしてそれが信教の自由を不当に侵害しないかという点である。


宗教法人法第81条に定める解散命令の要件は、「法令に違反して、公共の福祉を著しく害すると認められる行為をしたこと」とされている。家庭連合に対する請求は、組織的な不法行為の繰り返しがこれに該当するという理屈に基づいている。


しかし、この解散命令請求にはいくつかの深刻な問題点がある。


第一に、民事上の不法行為を理由に宗教法人の解散を求めることは、政教分離原則に抵触する可能性が指摘される。国家が特定の宗教団体の経済活動を理由にその存在自体を否定することは、宗教活動への過度な介入と見なされかねない。もちろん、宗教団体も一般の法人と同様に法令を遵守する義務があるが、その逸脱が直ちに解散に結びつくかは慎重な判断が求められる。


第二に、解散命令が、信者の信仰の自由に与える影響は計り知れない。宗教法人の解散は、その団体に属する信者にとって、信仰共同体の喪失を意味する。信教の自由は、個人が内心で信仰を持つ自由だけでなく、それを外部に表明し、共有する自由、そして共同体を形成する自由をも含む。解散命令は、この共同体を破壊し、信者の信仰実践の機会を奪うことになる。


第三に、今回の解散命令請求が、特定の宗教団体に対する社会的なバッシングや偏見に影響されたものではないかという疑念も拭えない。安倍晋三元首相銃撃事件を契機に、家庭連合と政治家の関係が大きくクローズアップされ、世論の厳しい目が向けられたことは事実である。しかし、世論や政治的意図によって、信教の自由という基本的人権の制約が正当化されることはあってはならない。もし、特定の宗教団体を社会的に排除しようとする意図が背景にあるとすれば、それは政教分離原則の理念に反する。



諸外国の事例と日本の特殊性


諸外国においても、カルト問題や反社会的な活動を行う宗教団体への対応は、各国の憲法や法制度に基づいて行われている。しかし、多くの場合、解散命令のような極端な措置は慎重に判断される傾向にある。例えば、ドイツではカルト対策として様々な法整備がなされているが、信教の自由への配慮から、解散命令は極めて限定的な場合にのみ適用される。


日本の場合、オウム真理教事件という特異な歴史的経緯があり、宗教法人法が改正され、解散命令制度が導入された背景がある。しかし、オウム真理教が国家転覆を企図し、テロ行為を行ったという事案と、家庭連合の霊感商法問題を同一視することはできない。両者の間には、公共の安全に対する脅威の質と量において明確な違いがある。



政教分離原則の試練


今回の家庭連合への解散命令請求は、まさに政教分離原則がその真価を問われる試金石である。国家が宗教団体に介入する際、どこまでが許容され、どこからが信教の自由への不当な侵害となるのか。その線引きは極めて難しい。


しかし、国家が特定の宗教団体を「悪」と断定し、その存在を抹消しようとするならば、それは国家が特定の価値観に基づき宗教を選別する行為に他ならない。これは、憲法が禁じる国家による宗教への介入であり、政教分離原則の根幹を揺るがすものである。


もし家庭連合の行為に違法性があるならば、それは民事訴訟や刑法によって個別に裁かれるべきである。被害者の救済は極めて重要であり、そのための法的な枠組みは最大限に活用されるべきである。しかし、個別の違法行為を理由に団体そのものの解散を求めることは、憲法が保障する信教の自由に対する過剰な制約となりかねない。



結論


家庭連合への解散命令請求は、信教の自由と政教分離原則という、日本国憲法の根幹をなす二つの原則に対する重大な挑戦である。国家が特定の宗教団体の「問題」を理由にその存在自体を否定することは、歴史的に見ても常に危険な兆候であった。


本件は、単に特定の宗教団体の問題を解決するに留まらず、今後の日本の宗教政策、ひいては人権保障のあり方を左右する重要な判例となるだろう。裁判所には、世論や政治的圧力に屈することなく、憲法の精神に則り、信教の自由と政教分離原則の厳格な適用を求める、公正かつ慎重な判断が求められる。


政教分離原則は、国家が宗教に不当に介入することを防ぎ、多様な価値観と信仰が共存する社会を築くための礎である。この原則が真に信教の自由を守るものであるならば、今回の解散命令請求は、その違法性が厳しく問われなければならない。そして、私たちは、いかなる宗教団体に対しても、安易な国家介入を許さず、信教の自由が最大限に尊重される社会の実現を目指すべきである。

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